【たびのちから】#3 ヒロクメさんは言った。「壁に突き当たっても、私にはハワイと広島があった。決してあきらめなかった」。
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【たびのちから】#3 ヒロクメさんは言った。「壁に突き当たっても、私にはハワイと広島があった。決してあきらめなかった」。

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ハワイの伝統的な衣装を身にまとった女性の姿。南国ならではの植物や建物、家具類。背景に輝く大きなフルムーン。その画風にはどこか懐かしさが漂う。個展やイベント出展に加えて、ブックカバーにパッケージデザイン、CDジャケットなどなど展開は多種多様。ハワイ好きならば、一度はどこかでこのアートを目にしたことがあるのでは……。

その作者が、ヒロクメさんだ。本人は、“HILO KUME is an Illustrator.”と言うが、実際はそこに留まらず、いまも夢を追い続ける旺盛なマルチアーティストである。ヒロクメさんに、その創作意欲の原点とこれからをうかがいました。


イラストレーター
HILO KUME

〔Profile〕
ヒロクメ 広島市生まれ。高校時代はベーシストとしてバンドに没頭。1980年代から写真撮影のためにハワイをたびたび訪れるように。90年代に入ると「古き良きハワイ」(オールド・ハワイ)をテーマにした絵画・イラストの創作を開始。2008年に最初の個展を湘南で開くなど、ハワイ分野の先駆的アーティストの一人。近年は京都や琵琶湖、沖縄など「日本の彩」をテーマに取り組むなど活動の幅を広げている。


シンガーソングライターを目指した湘南ボーイ


――この4月に京都の百貨店で開催した個展が大盛況だったそうですね。

はい、とても大勢の方々にご来場いただきました。百貨店からも評価してもらえたようで、早々に来年の実施も予定されたところです。
この10年ほどハワイをテーマにしたイベントに数多く参画してきましたが、最近は個展に絞っています。イベント会場は多数の来場者でごった返して、お客さんと絵についてじっくり話せる雰囲気にはなりにくい。百貨店などで実施されるハワイイベントは特にそうで、朝から晩までサイン待ちの行列ができるほどです。せっかくの機会ですから、来て下さる方々から感想やご意見、反応などを直に聞いて創作活動に生かしていきたいのです。

『Hanalei Sunset』


――今年も個展中心の展開になりますか。どんなテーマなのでしょう。

京都の個展が終わったところですが、大きいところでは7月に湘南、11月に沖縄を予定しています。京都は、『COLOR OF HAWAII~楽園の島への誘い~:ヒロクメが描く楽園ハワイの世界』をテーマに、まだハワイに行くのが困難な状況なので、絵をみて癒しを感じてもらえれば、との思いで開催しました。

湘南のテーマは、『サーフ&メロウ』。湘南の人たちは地元愛が強くて、サーフィンと海、湘南独特の風景に対する思い入れもあります。そうした気持ちに少しでも応えられるような内容で考えています。

沖縄は、『太平洋でつながる沖縄とハワイ』を表現したアートを新作も含めて計画中です。沖縄は、ツアーパンフレットやフラツアーのアートに携わっていて、もう15年来のおつき合い。昨年の個展では、要望もあって消失前の首里城の姿を描いて好評でした。

――ヒロクメさんは、やはりハワイとのつながりが深いですが、沖縄関連の活動も長い。それ以外への展開にも意欲的だとか。

新しい取り組みでは、詳細はこれから詰めるところですが、瀬戸内海の江田島にリノベーションオープンしたホテルで、ヒロクメアートをベースにしたイベントを予定しています。ホテル運営会社のトップが瀬戸内出身の日系ハワイアンで、そのご縁です。私の母が江田島生まれで、自分も小学生の頃は毎年、夏休みの1カ月間をこの島で過ごしており思い出深い場所です。ただ今回はハワイというよりも、訪日客も意識して厳島神社や京都の舞子さんのシリーズを主に考えています。

その他、奈良県から飛鳥時代/万葉の時代をイメージした絵の依頼などもあり、ただいま研究中です。もともと日本史や日本画が好きで、子供の頃から京都や奈良もよく訪れていました。確かにハワイへの思いは強いですが、あまりそれにしばられず、自分の感性に従ってやっていこうと思っています。

「和」の要素を取り入れた京都・長楽韓での個展(2015年)


――広島県の江田島は心の故郷でもありますね。広島市生まれ、鎌倉育ちとお聞きしていますが、そもそもハワイやアートとのつながりはどのようにして。

父が鎌倉出身だったので、中高時代は鎌倉や東京で暮らしました。高校時代はバンドに夢中でベースやギターを担当、地元ではちょっと有名でした。湘南という場所柄、従弟がサーフィンをしていたことも影響してか、高校を卒業してから、私も波乗りをするようになりましたが、音楽は続けていて20歳を過ぎてからは曲作りも始めました。

ある著名な音楽関係者から、「君の曲はとてもいいが、難しいから自分で歌った方がよい」と言われたのがうれしくて、それ以来ずっとシンガーソングライターを目指してがんばっていました。実は、絵を始めたのは30歳過ぎてからなのです。


ラハイナのフルムーンに魅せられて


――最初は音楽だったのですね。

はい、でもサーフィンをやりながら、片岡義男さんの小説が好きでよく読んでいたのですが、主人公のカメラマンが古き良きハワイを撮っていた。それに当時、サーフィン雑誌などでも活躍されていたフォトグラファーの佐藤英明さんの撮ったハワイの写真を見て、その世界観にも大感動した。それが、私とハワイとの出会いでした。そして真似ごとで写真を撮るようになり、その中でハワイに何度も通い、“オールド・ハワイ”を求めて島の小さな町を訪れるようになったわけです。

オールド・ラハイナの象徴的存在のパイオニア・イン(1992年当時)
ハワイ島の小さな町ホノムに残るホノムシアター(1995年当時)。外壁は塗り替え前の状態


――音楽からサーフィン、小説、写真、そしてハワイと出会った。何か運命的なストーリーです。

ハワイには、ご存じのとおり、クジラやイルカの絵で有名なワイランドなど、数多くのアーティストが活躍しています。当時は、ハワイのさまざまな広告アートはほとんどが絵で、行くたびにそれを見て、いつかこういう絵を描いてみたいと思い始めていた。そんな時です。1991年にマウイ島を訪れた際、ラハイナで見たあまりに明るくて大きなフルムーンの美しさに衝撃を受け、「これを何としても絵にしたい、絵を描きたい」と思ったのです。

『Po Mahina』


――ラハイナで見た満月の美しさにインスパイアされたと。確かにヒロクメさんの作品には、『Po Mahina』はじめ、月をモチーフにしたものが多い。そのまま絵描きの道に。

本格的にやり始めたのは95年くらいからですね。でも、材料や道具、技法などの基本もよくわからず、人に聞いたり本を読んだり。自己流で試行錯誤の連続でした。当時はハワイモチーフの絵など、日本では見向きもされなかった。それで仕方なくハワイに持ち込んで売り込みを続けていたら、あるギャラリーが置いてくれて、幸運にもそれを見た現地のアートグッズ企業が契約してくれました。そしてそこから逆輸入的に、日本でもCDジャケットなどを受けるようになったんです。

日本では、所属する事務所が99年に、「マノアバレー」という小さな店を渋谷区の三宿につくりました。まだハワイをテーマにした店など全然ない頃に、ハワイのコーヒーとヒロクメアートとハワイアンミュージックの3つにポイントを絞った店でしたが、そこにはすぐに多数の著名アーティストや女優、モデルさんらが集まるようになり、私自身のネットワークも大きく広がりました。

――運もあったとのことですが、とても順調な展開です。

いえいえ、そうばかりではないです。90年代は、作品が国内ではまるで受け入れられず、当然、絵だけでは全く食べていけずで、いまで言うフリーター暮らし。ごく普通の喫茶店で調理のバイトなんかしていまして、でもそのおかげで何でもつくれるようにはなりましたけどね(笑)。日払いがある工事現場の仕事を考えたことも一度や二度ではありませんでした。

でも、そんな日が続いて、さすがにもうだめかなと思っていると、ハワイから「絵が売れました」とか言って、それなりの金額が振り込まれ、ちょっと一息という具合。精神的にも、毎日がとにかく不安定な状態でしたが、いま思えば、結果的にはやはり運がよかったのかもしれません。

『Lahaina Afternoon』


――ただ世の中的には、90年代に入って日本人のハワイ旅行者数は着実に増えていて、90年代後半には200万人を突破し過去最高となっています。それは追い風になったのでは。

そうですね。でも仕事として成り立つようになったのは、2000年以降です。東京や横浜、名古屋、福岡など、全国各地でハワイイベントが盛んになってきて、そのアートを手掛けたり、出店して作品を販売したり、雑誌のカバーなどもやり始めました。

その頃から徐々に順調になり、ハワイアンや日本人アーティストのCDジャケットを立て続けにこなし、本のカバーアートや、雑誌の原稿執筆などの依頼も増えていきました。

マイク真木「Pua Lokelani E」(バラが咲いた/ハワイ語)のCDジャケット(2017年)


「若い頃の思い捨て切れず」音楽活動を再開


――なるほど、10年の苦労が実り始めたわけですね。ところで最近になって音楽活動を再開されたとか。

音楽活動からはずっと遠ざかっていたのですが、4年前にある音楽プロデューサーと知り合っていろいろ話していたら、その勢いでCDを出そうということになり、いま2枚目を制作中です。でも、ライブ活動は2010年から毎年1,2回ほど、主に関西地域のハワイアンカフェなどでやってきていました。若い頃の思い捨て切れず、ですかね。

東京・渋谷で開いたソロライブのワンシーン(2018年)


――絵も音楽も執筆も写真も。マルチな活動です。

どれも極められず、いろいろ取り組んでいますが、実態としては絵画関連が8割です。写真は、いつかオールドハワイ(古き良きハワイ)をテーマにした写真とエッセイの本を出したくて、ずっと撮りためています。だから、いまとなっては貴重な昔のハワイの風景写真がたくさん残っていて、時折、出版社から借用依頼が来たりしますよ。少しずつデジタル化しているのですが、写真が多すぎて整理が進まない‥‥。

撮りためた「古き良きハワイ」の風景を集めた写真集も刊行(2016年)


――さきほど、日本画にも興味があるとのことでしたが。

日本画ならではの「わびさび」に魅了されていて、7年くらい前から折に触れ描いています。日本画は基本的に岩絵具を使いますが、その色合いがきれいなんですよ。最近になってアクリル絵具で日本画風のものが出たので、それでより描きやすくなりました。自分の作品を飾って癒されたいと思っているのですが、なかなか具体的なアプローチが見えてこない。目下の悩みです。

5月半ばまで、京都の町のギャラリーで個展『ヒロクメが描く和の世界』開催しています。ちなみにハワイから離れたこうした和のアートでは、ヒロクメではなく「弘」として活動しています。本名の「粂 弘幸(くめ ひろゆき)」から取りました。

ハワイ島ヒロと広島県江田島をつなぐ物語


のどかな江田島の風景


――ハワイも好き、「和」も好きというのは意外です。ヒロクメさんと言えば、“楽園ハワイの風景画”のイメージでしたから。

私にとって、ハワイで感じるものと日本の原風景とは根っこが同じなんです。ハワイってどこか懐かしい感じがする。子供の頃見た日本のイメージなのです。

例えばボンダンス(盆踊り)とかは、幼い頃、江田島で見た懐かしい風景そのまま。ハワイ島ヒロの町のジェネラルストアに入ると感じる独特のにおいは、江田島でよく行っていた近所のよろず屋さんと同じにおい。ロコモコ(ハワイのローカル料理)を食べれば、母が手製のグレービーソースのハンバーグをつくってくれたことを思い出す。90年代のヒロではまだ、日系3世の方々の広島弁が聞けたりもしました。体いっぱい五感を通して幼き日の記憶が呼び覚まされるわけです。

――瀬戸内の江田島とハワイの根がつながっているという表現は、ヒロクメさんならではですね。ヒロクメさんにとって、江田島とハワイとは何ですか。

江田島の良さは、まずはのどかな風景、そして美しい海。高台から見る瀬戸内の島々、海に浮かぶカキ筏の景色。そこに赤い夕日がゆっくり沈んでいく。どれもが私にはとても懐かしい風景なのです。どんなに厳しい状況にあっても、ここに来れば再び自分を取り戻すことができる。

そのもう1つの場所がハワイ。もっと言えばハワイ島のヒロです。この仕事は、良くも悪くもとにかく自分の力だけが頼りです。だから、「どんなことがあっても絶対にやめないぞ」という思いだけでここまで来ました。やめたらすべてが終わる。これを忘れなかった。壁にぶち当たった時は、なけなしの金をかき集めてでもヒロに行き、しっかり充電し態勢を整えて東京でまたやり直す。気がつけば、ハワイにはもう120回以上も通っています。ハワイ貧乏ですね(笑)。

島の高台から眺めるカキ筏の風景


――絵を志してもう30年近くになります。大事にしてきたこと、そして今後への思いを。

30年、長いですね。その間、ずっとこだわってきたのは、自分の感性を信じ切るということ。どこの学校を出たのかとか、もっと遠近法を使ったらとか、技法的なことも含めて、いまもあれこれ言われますが全く気にしていません。どこかの先生に教わった絵ではなくて、自分の感性を信じて描き続けることが、いまの私にとっては重要なのです。

ただこうも思っています。年齢的にはとうに人生の後半戦に入っていますが、それでもまだ夢を追っていて、最終的にはやはり、音楽をやりたいと。と言っても自分で歌いたいわけではなく、自分が作った曲を誰かに歌ってもらいたい。そしてCDで出す。もしかしたら、それがヒロクメのアーティストとしてのゴールかもしれません。自分の中ではある意味、絵を描くのも写真を撮るのも、そのための準備の一環だとも考えています。知名度も含めて総合力を高め、音楽への取り組みにも注目してもらえればということです。

先日ふと周りを見わたしたら、知り合いに絵を描く人はほとんどいなくて音楽関係者ばかりでした。自分でも気づかないうちに音楽への思いがそうさせていたのでしょうか…。

これからは、そのゴールに向けた歩みもより意識していこうかと。もちろん簡単でないことはわかっていますが、壁にぶち当たったら、その時はまた江田島とヒロに戻りますよ。

――ありがとうございました。

          *      *     *

「最終的にはやはり、音楽をやりたい」。

ヒロクメさんのこの言葉には、少なからず驚かされました。これまでにも、 “オールド・ハワイ”の写真を撮り続けてきたこと、音楽活動のこと、ギターのこと、各種雑誌への寄稿のこと、などなどは承知しており、そのマルチな活動ぶりを遠くから拝見していました。実際に大量の貴重な写真を見せてもいただきました。ですが、やはりイラストレーターとしてのインパクトが大きすぎて、浅はかにもそれらはあくまでサブ的なことだと思い込んでいました。

しかし、それだけではなかったということが、今回のインタビューでよくわかりました。自分の目指すところを忘れない。何としてもそこに向かおうとする。あきらめたら終わり。柔和な表情、穏やかな話し方の裏に、それとは異なるもう一つの顔、アーティストの覚悟を見た気がしました。

江田島とハワイとアートと。ヒロクメさんのマルチなたびは、まだまだ続きます。

文・武藤英夫 株式会社ジャパンライフデザインシステムズのエディター。旅行会社、旅行業メディアを経て、現在はツーリズムとヘルスを足がかりにした生活者研究、情報発信、ファンマーケティング等に従事しつつ、さまざまな人と地域のウエルビーイングの実現に取組中。

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